その井伏鱒二は

生活の糧を得るための『釣り』ではなく、趣味としての釣りを始めた人としてあげられるのは、
イギリスのウォルトン卿(Izaak Walton 1593 – 1683)だと言われている。
彼は、清教徒革命などイギリスの混迷期に生きた人物。
文筆家でもあったが、揺れ動く政界に嫌気がさしShallowfordの地域全体を買い求め、
釣り三昧の生活を行なっ探索四十課程た人物として知られる。

彼は、晩年期にはロンドンに釣り道具屋を開き、その店は現在にも続いているという。
釣り好きで有名だった開高健氏が、その店を訪ねてみると銅板に
『穏やかになることを学べ』と彫られていたという。
それは、ウォルトン卿の哲学そのものであり、釣り人に対するありがたい教訓でもあると述べていた。
とかく釣りを趣味にする人は、短気な人、すなわち『穏やかならざる人』が多いと言われている。
釣りとは、穏やかになることで魚との勝負が出来るものと言える。

釣り師を揶揄した言葉香港购物
「釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である」
というのがある。
自分自身も釣り人であるサミュエル・ ジョンソンが言った言葉として知られる。


日本でも、文人に釣り愛好家が多い。
たとえば、『ジョン万次郎漂流記』や『ドリトル先生シリーズ』の翻訳などで知られる小説家の
井伏鱒二氏のペンネームは釣り好きが高じてその命名となったと言われている。

その井伏鱒二は、変わり者の評論家である佐藤垢石(こうせき)の釣りの弟子でもあった。
垢石氏は、戦前の政治評論家で、鋭い舌鋒で政治家などを攻撃していた。
彼は、かのウォルトン卿のように、揺れ動く政界に嫌気がさし
個人的にも、釣りをこよなく愛する人物でもあった。

垢石氏が、釣り人となる教訓として井伏鱒二氏に書いた手紙に
「釣りをする時は、山川草木に溶け込まなくてはいけない」
「釣りの妙諦というものを会得するには、『姿、心境、技』の三つを揃えなくてはならない」
これは、釣り人にとって非常に含蓄のある言葉だと言える。
一文で表すなら、
「自然の世界に溶け込み、姿も釣り人らしい美しさがなければならない」
ということを意味するようだ。

このような教訓を残す釣り人は、
釣り竿の片端に手を添えている馬鹿者ではなさそうだ。
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